懲毖錄

屛山書院
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懲毖錄

懲毖錄

66才に生を閉じた西厓。当時としては天寿を享受したものである。大提學に吏曹判書、刑曹判書を経て三政丞の身分にまで登り、壬辰倭亂の全期間の間、国政 の中心に立って国乱打開のために先頭に立った。だが、反対派の強烈な党派の争いによって、酷烈した批判を受け、削奪官爵まで受けて故郷に返ってくる。 先生の職牒をすぐに返ってきたが、朝廷には二度と戻らず、壬辰亂の時の記憶を整理しながら静かに晩年を過ごした。彼が『懲毖錄』を完成したのは1604年 の時である。

1592年(宣祖25年)から1598までの間の7年間の記録を整理して礎稿したものであり、西厓を代表する著書である。 壬辰倭亂以前の日本との交隣関係を含め、民衆達の抗争、明からの援軍の派遣および、制海権の掌握に対する戦況などが一番正確に記録されている。 ‘懲毖’とは、『詩経)』周頌・小毖章の“事前に警戒して後患を警戒する(豫其懲而毖後患)”という文章から持ってきたと西厓先生が直接明かしている。 著者は、朝鮮と民衆に二度とこの様な悲惨な戦禍が起きてはいけないという懺悔と念願を込めて、その受難像を記録し、これを『懲毖錄』と名付けたのである。 この本は、『亂中日記』と共に、壬辰倭亂前後の状況を研究するのに貴重な史料として評価されることは勿論のこと、豪放な西厓の自筆という点からその価値がある。国宝第132号(1969年)として指定され、河回村にある‘永慕閣’に所蔵されている。