各建物の紹介

屛山書院

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書院建築最高の美学、屛山書院

屛山書院は、周辺の自然景観と書院の建物達がよく馴染み、勧告でも一番美しい古建築として特に優れている。書院の名は洛東江を間において見つめあってる山がまるで‘屏風’の様に掛っているということから由来している。

屛山書院は、道東書院、陶山書院、紹修書院、玉山書院と共に朝鮮時代の5代書院に属する。
前學後廟の構成原理によって、前側には学問を学び得る講学空間で構成され、書院の後ろ側の一番高い所には配享空間である祠堂を配置している。

屛山書院は、朝鮮時代中期の書院精神が盛んに復興していた時期に建てられた。紹修書院と陶山書院などの初期書院建築の伝統をよく継承しており、朝鮮の禮学が理論と形式に傾く前の健全さを良く表す模範的な書院建築物と評価されている。

特に立地条件に対する卓越な解析と、各建物間の関係を設定するときに融通性が目立つ。伝統的な風水地理の理論と‘礼’の理想郷を具現させようとした儒教的理念が調和した形で反映された。

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復禮門
書院の正門にあるソスル三門である。‘復禮’という名は‘自分自身を低め、禮に戻ることがつまり仁である。’という儒学の自己節制の精神を表現したものである。元々はその位置ではなかった。「立教堂重建日記(1921)」によると、書院の側面である晩對樓の東側にあったものを移建したのであるという。屛山の険しい形勢を避けようとした風水の原理が込められている。
復禮門
晩對樓
屛山書院で一番知られている建物であり、建築と造形美からその価値を認められている。自然地形をそのまま利用して建てられ、正面7間、側面2間の漏刻であり、休息と講学を行う複合空間である。八作瓦でホッチョマ(單檐)で作られたこの雄壮な建物は、人工的な書院建築と自然の間の媒体としての役割をするが、韓国書院建築の白眉として代表する。柱の間から見える洛東江と屛山は、7幅の屏風を見るような美しい景観を演出する。
‘晩對’は中国唐の時代の詩人である杜甫の詩である'白帝城樓'の一説'翠屛宜晩對 白谷會深遊'から用いた言葉である。
屛山書院を代表するとても美しい建築物である。
復禮門
立教堂
書院の一番核心的な建物である講堂。"教えを正しく立てる"という意味であり、書院の中央に位置している。正面5間、側面2間の重軒(軒先のたるきの上にさらに短いたるきを重ね合わせた軒)八作瓦であり、架構は5樑になっている。
講学堂を中心に、東には明誠齋、西には敬義齋3つの部分に分れる。テッマル(部屋の上り口の外に付け足した縁側)がある明誠齋には書院の院長が起居し、西側の敬義齋は教務室にあたる機能を担当していた。
立教堂
東齋と西齋
立教堂と晩對樓の間の庭を真ん中に東と西に位置して見つめあってる。儒生達の宿舎であって二つの建物は、同じ大きさであり、小さな部屋2つとその間に板の間がある。講堂側の小さな部屋は、今でいう学生会長の役割を担う有司の一人部屋か、書籍を保管する蔵書室である。2間規模の大きな部屋は学生達が団体で生活する部屋であった。東齋には上級生が、西齋には下級生達が起居していた。
東齋と西齋
藏板閣
本を印刷するときに使用する冊版と遺物を保管したところであり、立教堂の左後ろ側に位置している。正面が3間、側面が1間の構造であり、湿気を避けるために正面に板門を全てつけた。また、火事を防止するために他の建物と距離をおき、独立的な空間を備えた。書院の名門度を評価する主な基準の中の一つは、つまり板本の所蔵量であり、よって本を発刊する木版は書院の大切な財産として厳しく管理された。
藏板閣
神門
書院の內三門にあたり、鄕射(享祀)の時に祭官達が出入りした。正面3間のソスル三門で祠堂の出入り口らしく赤く塗ることによって不浄な物の接近を拒めている。
鄕射禮で神門前の庭は重要な場所になる。執禮を担当する役員達は神門の中には入れるが、一般の学生達は前庭で参観しなければいけない。
神門
尊德祠
書院の一番上の部分に位置している。西厓先生や修巖の位牌が置かれた祟れた祠堂であり、正面3間、側面2間の構造で、風板が設置されたマッベ屋根(切り妻屋根)の建物である。変形された翼工様式の重軒で丹青されており、正面左右に階段を置いている。
尊德祠
典祀廳
典祀廳は祠堂に上げる祭需(祭祀用の供え物)を準備するところであり、祠堂と同じ垣に置くのが一般的である。だが、屛山書院の場合には典祀廳と祠堂が各自独立された領域に分離されている。
これは下記の廚所の建物と中心軸を合わせることによって、典祀廳に上がってくる祭需を準備する廚所の作業を充実に指揮・監督するためである。尊德祠の右側に位置している。
典祀廳
ダルペンイディッカン(かたつむり型厠)
書院の外にある廚舍の前にある厠である。赤土石垣のはじまりの部分が最後の部分を隠すように丸く包む形で建てているが、その姿から名前をつけた。出入り口をつけなくても中の人が外に見えないように配慮した構造である。屋根が無く空側が解放された'ダルペンイディッカン'は、儒生達の世話をした働き手達が使用していた。約400年前に書院の建物と共に建てられ、昔の記録では竹で壁を作ってたと伝われている。屛山書院の付属している建物として含まれ、史蹟第206号(1977年)として指定された。2003年には保守作業が行われ今に至っている。
ダルペンイディッカン(かたつむり型厠)
光影池
晩對樓と復禮門の間に水路を引いて作った‘天圓地方’形態の池が組成されている。今は埋めてしまい、その形だけが推測できる。‘天圓地方’は、韓国伝統の池の組成原理であり、先祖達の宇宙観が象徴的に表現されている。‘土を意味する四角い池の真ん中に空を象徴する丸い島’をおいた。修心養性を根本として、学問に精進するよう配慮した‘書院の中の庭園’である。
光影池